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メディア編集長の日々徒然

千日回峰行 酒井雄哉さんの生き様

千日回峰行

この言葉を今まで聞いたことがなかった。初めて知ったのが3年程前。たまたま見たyoutube動画だ。
酒井雄哉さん含め、数人の千日回峰行関連動画を見ることができるが、一番印象に残ったのが酒井さんだ。

なんとなく身近にいるような、親しみがあるような、そんなおじさんだからかもしれない。
そして記録上、1000年の間、千日回峰行を成し遂げた人は51人、そして複数回成功した人は3人しかおらず、その内の1人が酒井雄哉さんだ。

毎日40キロ歩くのが大変なのは想像に難くないが、1日でも続けられない日があれば持参している短剣で自死するという強烈な修行。相当な覚悟でないと挑戦すらできない。そういう修行だ。

千日回峰行とは

千日回峰行とは、7年間の間、約1000日に渡り、比叡山山中で行われる回峰行の1つである。
連続して40km(キロメートル)を毎日連続で歩かなければならない、過酷な修行だ。

悟りを得るためではなく悟りに近づくために課した修行だが、命を落としかねない非常に厳しい修行である。修行中は常に短剣と埋葬料を携帯し、途中で続けられない場合は自死するしかない。

細かく書けば、以下のようになる。

・1年目:40kmを連続100日(合計4,000km)
・2年目:40kmを連続100日(合計4,000km)
・3年目:40kmを連続100日(合計4,000km)
・4年目:40kmを連続200日(合計8,000km)
・5年目:40kmを連続200日(合計8,000km)
・堂入り(9日間飲まず食わず寝ることも横になることもできない)
・6年目:60kmを連続100日(合計6,000km)
・7年目:前半84kmを連続100日、後半40kmを連続100日。(合計12,400km)

※wikiを見ると40kmではなく30kmになっているが本当のところはわからない。

酒井雄哉とは

酒井雄哉さんは、1926年生まれ。2013年の87歳で亡くなった。
酒井さんは2度、1980年と1987年にそれぞれ千日回峰行やり遂げている。

戦争を経験し、自身は奇跡的に生き残ったが、元気だった仲間を目の前で失う体験から、世の無常を味わう。
その後は仕事を転々とし、株売買の代理店で大損害を発生させて借金取りに追われたりもした。
そば屋の店員や、菓子屋のセールスマンなどの仕事もしている。

33歳のときに従妹と結婚するが、新婚早々実家に帰ってしまう。妻を連れ戻そうと迎えにいったが、しばらくして妻がガス自殺を遂げてしまう。結婚生活はわずか2ヶ月。その後は抜け殻みたいな生活を送る。

その後、叔母と比叡山を訪ねたことがきっかけとなり、39歳の時に出家。ここが最後の砦と自覚した。

1973年より千日回峰行を開始し、1980年に満行した。これに満足せず、すぐに2度目の千日回峰行に入る。1987年7月に60歳という最高齢で2度目の満行を達成。

2度目の満行を終えたのは、1000年を超える比叡山の歴史の中でも3人しかいない。

酒井雄哉の千日回峰行

<以下、Youtube動画より抜粋>

比叡山千日回峰行とは、延べ1000日、7年に渡って山の峰々を歩き回り修行する独特の行である。

真夜中の1時から朝の10時まで、毎日40キロ、山中をあるき続ける。たとえ、病気や怪我をしても休むことは許されない。

袴と足袋を履き、手甲脚半を付け、白装束を着る。そして蓮華を表す笠をかぶる。これが千日回峰行者、独特の装束である。

この歩く修行については、歩法禅と言われ平安初期より行われていた。元々は中国が発祥で、日本独自の修験道を取り入れた業である。

40キロの回峰中に260か所で礼拝を行う。

1日40キロ。1000日で4万キロ。これはちょうと地球1周したのと同じ距離になる。記録によるとこれまでの400年の間に千日回峰行を成し遂げた僧はわずかに40人余り。10年に1人現れるどうかである。

酒井さんが千日回峰行を決意したのが49歳。昭和50年4月7日である。その日は亡くなった奥さんの命日であった。

一旦始めた回峰行は途中で失敗すれば死ねという厳しい不文律がある。50歳を前にした酒井さんがこの業に入ることに多くの人が不安を抱いた。

「最初は足をびっこを引きながら何にもわからないまんま、提灯一つで暗い道をぐるぐる歩くわけですよ。」
「毎日歩いて行くといろいろな経験をする。こういうことが嬉しいなとか、今日はきついなと思ったり」
「今までの人生を振り返って悔やんだり、夢の一コマみたいに今までの人生を思い浮かべてしまう」

酒井さんは戦後は東京で闇ブローカーやセールスマン等の仕事を転々とした。しかし結婚まもなく奥さんが自殺。これが出家への大きな動機となった。酒井さんが40歳の時である。

この1年酒井さんは米の飯を食べていない。1日2食。うどん、豆腐、じゃがいもだけ。9日間の断食に備えるためである。

毎日の睡眠は3時間余り。それで40キロの山道を歩く。

回峰100日、毎日毎日山を歩く。なぜこんなに歩かねばならないのか疑問に思う。
回峰300日、亡くなった妻や、友の顔が次々頭に浮かぶ。

そして500日を過ぎた今、もう過去のことは頭にない。突然出くわす、猪、鹿、うさぎなど「今日1日無事過ごせるかどうか」が気になると酒井さんは言う。

「万が一、(修行中に)糸が切れた場合、僕はそのまんま、谷底へもほおってもらって、自分の肉体がくずれおちて、地に戻って、地でもいいし、雑草でも良い。生まれ変わって、自然の中に溶け込んで、自然を守る一員になりたい」

最初の3年間は100日ずつ山を歩く。
4年目、5年目になると200日になる。

まる5年、700日満業になると、「堂入り」という一つの節目を迎える。この堂入りが最も過酷と言われている。

これからの9日間は一切の水、食べ物を断ち、眠ることも、体を横にすることも許されない。
行者が死と向かいながら、不動明王と一体になる堂入り。これは生き葬式とも言われる。

9日後、生きて会える保証はどこにもない。僧や信者が堂から離れ、行者1人が残される。

堂入り中、行者が外気に触れるのは日に1度だけ。真夜中の2時、仏に供える水を井戸に汲みに行く時だけである。30分程の時間。

堂の中で、行者は飲まず食わずでただ座っているだけではない。40分の梵行(ぼんぎょう)を日に3度、後は不動真言を唱え続ける。

※不動真言とは「仏の教えがこもった言葉」のこと。

9日目、最後の取水が行われた。

182時間ぶりに口にするもの、それは一口の薬湯である。

1人の阿闍梨(あじゃり)が生まれた。(阿闍梨とは他を導く位の高い僧のこと)
酒井さんはいま、行者から阿闍梨に生まれ変わった。

「生涯通じて、出来の悪い、人生でいうたら落語者ですよ。そういう人間が仏様のご加護によってここまでこられたと言うことは、ひとえに御不動様に感謝」

「ただ感謝するだけでなくて、この気持を今度は生まれ変わって、一生懸命、みんなのために拝めたおしていくというそれだけです」

比叡山千日回峰行、生まれ変わって阿闍梨となった酒井さんが、再び歩き始めた。
今年は1日60キロを100日、来年は1日80キロを100日、そして40キロを100日歩き続ける。

千日回峰行はまだ終わっていない。

さいごに

この千日回峰行はやれと言われても到底できるものではない。
1日は何とかできたとしても、連日はとても無理だ。舗装されている道でも厳しいのに、山道を駆け上がったり下ったり。

そして何より途中でリタイアなどができない。それは死を意味するからだ。
恐らく今まで何百人、何千人とこの比叡山千日回峰行を行ったものはあるだろう。失敗した全員が自死したとは思えない。
でも恐らくだが、この酒井さんなら自死していたと思う。それくらいの覚悟で挑めるからこそ、2度も成し遂げられたのだろう。